2008年4月24日 (木)

FRマイコンで遊ぶ

リンク: FRマイコンってすご!.

娘が感染症にかかちゃたので,看護するため今日明日は休み…。家事は当然やるとして,暇なので先日基板を作ったFRマイコンのサンプルプログラムをいじって遊んでみた。

やっぱり自分的に面白いのはシリアル通信を行うプログラム。本誌のサンプルプログラムは紙媒体のがバグ有り(というか仕様の違い)だったりして悩んだがキーボードの入力をエコーバックできると言う事は,それに応じた出力ができる訳で,基本的には昔いじりまくったBBSホストプログラムと変わらない。

実際,これでプログラムできる容量は実用的なレベルなので,外部ストレージさえ用意できれば簡単にホストプログラムが書けそう。WWIVでは低レベルIOから書かれていたので,その手のプログラミングは慣れてるし。多回線化した際はその辺に非常に苦労して実装した。

…と思ったら,6月号ではUSBマスストレージクラスをターゲットとしたホスト機能のサンプルが載るらしい。やっぱり考えることは皆一緒なのかな。

WWIVではOS含め極端に言えばFDDベースでも運用できた。文字ベースのBBSでは2HDのFDで必要十分だったとも言える。今ならUSBストレージでGBクラスは当たり前…。

高価なパソコンでプログラムを組んで,外付けの数十MBクラスのHDDに大枚はたいて運用していた昔が懐かしい。雑誌の付録プラスαで草の根BBSは構築可能なんだな。

予告記事を見て思ったのだが,この付録基板。USBターゲットにもなれる。USBターゲットとして自分をマスストレージクラスと見せられれば,Autorun機能を利用して色々と楽しげな事ができそう。俗に言うポッドスラーピングって奴かな。

他にもUSBなんたらで色々と遊べそうだが…。やっぱりターミナルを介して文字のやりとりをするのが自分的には一番面白い。文字世代なんだなと実感する。

試しに,キーを押すたびに文字コードに応じて基板上のLEDが点滅するプログラムを組んだら,娘がかなり喜んでいた。アイデアを考えてと言ったら色々と考えていた。この限られた環境の中で何を考えるか楽しみだ。

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2008年4月19日 (土)

実名公開の意味って

リンク: ビビリな若者たちよ!! 実名ブログで自分を「見える化」する勇気を!!:久米信行の「企業経営に活かすブログ道」:ITpro.

なかなか興味深い記事。確かに海外のblogは著名記事が多い。別に有名人でなくても堂々と住所や連絡先をさらしている場合も少なくない。

だから日本でも同じようにするべき,と言うのはいささか横暴な気がしないでもない。今の政治を見てれば分かるように,政治家でさえ「個人」でモノが言えないような社会なのだから。もっとも,政治家でも個人のブログを立ち上げて主張を書いている人はいるけど少数派だと思う。

勇気が無いと言うよりも,文化の違いなのではないかな。

で,自分はと言えば,過去に電波新聞社から「BBS電話帳」なる冊子が発売されていて,それに『雪ん子』を載せてもらっていたので,住所氏名は調べれば分かるだろう。そういう意味では全く匿名でこのブログをやっているつもりはない。年賀状等にも記しているので,秘密にしているわけでもない。そんな程度で良いと思うのだがなぁ…。

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2007年11月23日 (金)

年賀状…

11月も終わると言うことで,年賀状の整理をした。離婚を決めて数年間年賀状を出さなかったところ,年々減って,それでも一昨年年賀状を送ってくれた方に久しぶりに年賀状を出した。

年賀状を控えていた数年の間に,送ってくれる方の数は約4分の1になっていた。年賀状を出す数が増えていたのは,思い返すと『雪ん子』ねっとで”年賀状アンケートを行っていた結果だったように思う。

私のBBSは登録時に個人情報を登録しなければ書けないシステムになっていた。ゲストさんはSIGが読めないしPDSもダウンロードできない。それなりに登録者数は多かった。WWIVにはアンケート機能があったので,それを利用して”年賀状リスト”にその登録情報を同報送信する許可をもらって,送信していた。

受け取る側は,SIG等で見知った人のみに出していたかもしれないが,自分はシスオペとして,許可者全員に年賀状を出していた。(ちなみに差出人不明で戻ってきた方は容赦なく登録を抹消していた。)それに返してくれた方に翌年返しているうちに結構な数になってしまった。

結局,この数年で分かったことは日本の年賀状システムと言うのは「お返し」の概念が強いと言うこと。結果として,出さないでいる間にも出してくれていた方は,年賀状ソフト等で数年前の履歴を見られる方か,身内だ。

今年問題になったのは,先日逝ってしまったVAIOにそのデータが置いてあったということ。バックアップはあったのだが,昨年戻ってきたものを反映する前だった。というわけで数は少ないものの,チェックすることになってしまった。

打ち出しに使っていたソフトも無くなってしまったので,データを変換して TX-32J にプリインストールされているマイクロソフトの”はがきスタジオ”に食わせてみた。ところがこれが非常に使いにくい。バックエンドがアクセスだからか,何とも。特に修正したデータを戻すのができなかったり,郵便番号から住所を強制的に書き換えられたりするのは困った。

とりあえず終わったものの,来年以降どうしようかなと思う今日この頃だ。

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2007年11月15日 (木)

NEC関本忠弘元会長死去

リンク: 東京新聞:NEC拡大路線けん引 関本忠弘元会長死去:社会(TOKYO Web).

パソコン通信世代なら必ず触ったことがあると思う「PC-98シリーズ」最近職場に採用になる人には,知らない人も多くなった今日この頃だ。

私が始めた『雪んこねっと』は知人から中古で頂いた"PC-9801UV2"をホストマシンにしていた。その後,マシンは他回線化を機にレベルアップし,途中エプソンの互換機に浮気したりしたものの,最終的には"PC-9801As"で幕を閉じた。

終盤では,他回線RS-232Cドライバとして使っていた MCD がAT互換機に対応していたこともあり,AT互換機で実験してみた事もあったが,PC-9801ほど厳密な制御ができず,断念した記憶がある。

今から思えば,両者の設計思想の違いなのだろうと思うが,AT互換機は真面目にRS-232Cをサポートするつもりが無かったように思う。当時はどちらも,汎用機などの端末として使用する際は専用のボードを購入する必要があり,そんな機能はオマケにすぎなかった。

AT互換機が出始めた頃,NECは”フロッピーが1台しかないようなマシンは日本で普及しない”などとネガティブキャンペーンを張っていたことを思い出す。確かに,当時のAT互換機はフロッピーがAドライブで,HDDはCドライブ。98はそういう所は柔軟だった。

キーボードにしても,今,家にある98シリーズを見ると,「ああ,何もかもみな,なつかしい…」などと思ってしまう。今ではすっかり106/109キーボードに慣れてしまったが,最初は戸惑ったものだ。

NECに対して批判的な人も少なくなかったが,自分自身が TK-80E と言うNECのワンボードマイコンからこの世界に入ったこともあり,純粋な国産マシンが無くなるのは寂しいものがあった。

パソコン通信時代の人間にしか分からない感傷かもしれないが,関本会長が実際に経団連の会長になっていたら,日本のIT業界は違った発展を遂げていたように思う今日この頃だ。

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2007年3月21日 (水)

TX32J LD-37SP1 を接続(1)

先日の日曜,SHARPの展示会に行って37型で地デジ対応の現行商品であるにも関わらず,税込みで198K(さらに値引き)と言うことで購入した液晶ディスプレイテレビ LD-37SP1。昨日届いて一日経過した時点でのメモ。

マニュアルダウンロードで,PCからのアナログ入力スペックが全く同じなのを確認していたので,特に不安は無くて,普通に自動調整でキレイに表示されたから安心していたのだけど,良く見ると,同じ行なのにテキストが細くなったり太くなったりしている部分がある。

TX32J に付属するテストパターン表示プログラムで確認すると,1ドット間隔の縦縞パターンに濃淡が出ている。色々といじってみた。結局,ベストだったのが,画面サイズを「Dot by Dot」から「フル」に切り替える事だったから不思議だ。ディスプレイ自体は横1366ドットなのだが,PC側の解像度は1360ドット。通常なら Dot by Dot が正しい。6ドット分横に広がる事で,濃淡がキレイに消えて文字もクッキリした。率にして0.4%程横に広がっただけなので,4:3画面を16:9にするような違和感は全くなく,とりあえず,これで使う事にした。

後から TX32J のモニタ説明書を見ると,こちらはフルスクリーンしかできず,逆に Dot by Dot表示ができないと書いてあった。という事はこちらで正解なのかもしれない。イマイチ納得できないが。

苦労したのがパソコン連携用のケーブル。TX32J の場合は USB接続で,見た目シリアルポート(COM10)としてディスプレイが見えていた。LD-37SP1の場合,D-Sub9ピンのシリアル端子が出ていたのを展示品で確認していたので,USB<-->シリアルポート変換ケーブルを使えば何とかなるかと考えて,昨日買っておいた。

現物と組み合わせてみようとして大きな間違いに気づいた。マニュアルにはクロスケーブルを用いるとある。USBシリアル変換ケーブルの先はDTEで,LD-37SP1 もDTE。生意気にもディスプレイの分際でパソコンと対等に話そうとするのだ。モデムのつもりでいてくれれば良かったものを。

雪ん子をやっていた時は,通信周りのケーブルは殆ど持っていて,変な通信機器とお話するときのために,結線を自由自在に変えられる変換コネクタを使ったりもしていたのだが,何分,PC-9801とかX68000 を使っていた時代で D-Sub25ピンのものばかり…。

仕方が無いので,今日ヤマーダ電機に行って,D-Sub9ピンのクロスケーブルを探したが無い。なぜか,D-Sub9ピンと D-Sub25ピンのクロスケーブルはあった。箱を見ると”PC-9800,PC486等”とあり郷愁を誘った。そういえば雪ん子もEPSONの98互換機で運用していた時期があったっけ。

で,クロスケーブルだから当然両端がDCEなので,”D-Sub9ピンメス,-->D-Sub25ピンメス”の変換アダプタでUSBシリアル変換ケーブルに繋ぐ。結果として「TX32J -> USBシリアル変換ケーブル -> Dsub9toDsub25変換アダプタ -> Dsub25toDsub9クロスケーブル -> LD37SP1」 と言う形で落ち着いた。

早速ハイパーターミナルを起動して,COM10 を指定してマニュアルに出ているコマンドを打ってみる。ボリューム等パソコン側からも変更可能なのを確認。TX32J はマニュアルに制御コマンドが明記されていなかったのだが,同じメーカーなんだし,さほど違いは無いだろと希望的観測。実際,TX32J でもどこで連動していたのかイマイチ良く分からなかったのだが,制御コマンドが分かった事で,キーボードショットカットで起動するコントロールアプリを作れるし,便利かもしれない。

今日のところは,とりあえずここまで。と思ったが,先程,試しにと思って地上デジタルの設定を札幌で行ってみたところ,NHK2局と民放3局ほど受信できた。アンテナ感度は40%ほどなのでノイズが乗る事も多いが,なるほどキレイだ…。

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2007年3月10日 (土)

IKKANさん

ほぼ毎日見ている,有名ブログ「きっこの日記」2007年3月9日の内容に,IKKANさんという名前があって驚いたと同時に懐かしかった。

この方は旭川出身で,以前「雪ん子」ねっとに登録いただいたのが縁で,地元公演の際お会いする事ができた。チケットをメンバーの方々が自宅まで届けて下さったり,メンバーの方々も温かい人たちだった。

文化会館の小ホールでの公演。時事ネタを結構深く斬っていたような記憶がある。下ネタ嫌いの人には抵抗があるかなぁと思ったりもしたが,その後,教育テレビに出ていたりしたのを見て,こういう仕事もやってるんだなぁと,頑張っているなぁと感慨深かった。

久しぶりに雪ん子のことを思い出したので,メモということで。

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2007年1月27日 (土)

Tri-P(トライピー)

昔,パソコン通信にハマっていた方でお世話になった人も多いと思われるサービスで,自分も利用していた。確か,これを決済するためにクレジットカードを作ったような記憶がある。カードはキライだったのだけど,そのくらい魅力的なサービスだった。

これ,全国の要所に設けられた Tri-P のアクセスポイントに接続し,そこから,他の草の根BBSに近い Tri-P アクセスポイントから発呼して接続する,ゲートウェイサービスのようなものだった。旭川にもアクセスポイントがあったので,ミカカ代は市内通話分,あとは従量制の Tri-P 使用料を払えば良い。当時は市外通話が今では考えられないほど高かったので,全国の草の根BBSに安価に繋げられるサービスはありがたかった。

今では死語に近いと思うが,この手のサービスあれこれを,当時は VAN (Value Added Network) サービスと言っていた。

パケット通信のインターネットが普及し,草の根BBSが続々とウェブサイトに移行していって,サービス終了となってしまったが,今は掛ける方は全国定額のサービスもあるので,逆に草の根BBSへの回帰みたいな形のサービスが出てもおかしくない,というかあるだろう。

今のインターネットはどこから情報が漏れてもおかしくないし,改竄されたりする可能性も無くはない。セキュリティに配慮する所なら,独自に回線交換でやるメリットは大きい。VPNサービスを用いればと言う考えもあるが費用はかかるしセキュリティも完全ではない。

メーカーのカタログを見ていたら,多回線RS-232Cのボードが比較的安く売っていたので,こんなもの,誰が買うんだろうと思ってみたが,今なら,そういう需要があるかな,などと思った次第。で,思い出したのが Tri-P。だったというわけ。

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2006年12月26日 (火)

年賀状用住所録

今日,締め切りを過ぎているけど年賀状の宛名書きをした。今回はここ数年,もらったものの諸所の事情で出していなかった方も出すことにしたので,昨年よりも多い。

「年賀状だけのお付き合い」ってのがあるけど,自分の場合「雪ん子」で知り合って閉鎖してからは年賀状だけって人が結構いる。当時は学生だったりした人も,もう立派な社会人になって,結婚したり子供もいたりして,時と言うのは優しくもあり残酷でもあると感じる。

雪ん子を主宰していた頃,年賀状時期の前には「年賀状用住所録を作るので載せたい人は登録して」と言う呼びかけをやっていた。雪ん子はプロフィール(一般には非公開)を登録してからでないと使えず,自分のプロフィールについては編集も可能としていた事から正しいかの確認も兼ねていたように思う。

当時の世の中ならではだと思うのが,住所録への登録可否をユーザーファイルに一時的に持たせ,ログイン時に強制的に表示させたりしていた事だろうか。単純に Yes/No だけだったはずだが,もし個人情報保護が強く叫ばれている今なら,延々と長い文章を読ませて確認を取る必要があるだろう。管理者たる自分の免責も含めての話だが。

住所録はユーザーファイルから編集してCSVか何かの形で,登録者全員にメールしていたような気がする。今でも手元に持っている人がいるとしたら,取り扱いにはご注意を…(ちなみにウチにはもうありません)

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2006年12月24日 (日)

ホストプログラム WWIV

061223_194901  WWIV は Wayne Bell 氏によるパソコン通信ホスト局用プログラムです。掲示板,ファイルライブラリ,電子メール等必要な機能は十分に備わっていました。シェアウェアで雪ん子で利用したものは TURBO PASCAL で書かれていました。シェアウェアと言ってもソースコードで公開されていて,試用は無料と言う位置づけだったと記憶しています。

 当時,ソースコードが公開されていた BBS ホスト用プログラムは少なく,自由にカスタマイズできる WWIV はかなりの人気を誇っていました。道内でもかなりの数が立ち上がっていて,リーダー的な存在だった札幌の HBBS と言うホスト局のシスオペである七色仮面氏の呼びかけで,氏が代表となってレジストしていただきました。

 そして作者から送られてきた最新版が,画像のエアメールです。まさか,わざわざ正式に最新版を海外にまで送ってくれるとは思わなかったので,とても驚きました。切手の額とか手間を考えると,赤字だったろうなと皆で話していた記憶があります。作者の誠実な人柄が良くわかりました。

 宛名と中に入っていたFDにシリアル番号と思われる数字があり,2万番台です。この時期のシェアウェアとしては相当なものだと思います。

 中のFDは今読める機械が無いので確認できませんが,5インチ単密(2S??)だったような記憶があります。今でも金融機関と企業や自治体の間でテープメディアが使われているように,世界的に互換性を確保するため(当時日本では主流だった PC-98シリーズの 2HD は珍しい規格だったりします),輸送中の事故を最小にするには記録密度を下げるのが一番イイのかなとか考えました。

 ドキュメントを読んで初めて知ったのですが,WWIV = World War IV「第四次世界大戦」の頭文字を取ったという事で驚きました。最新バージョンはC言語になっており,当時立ち上がりつつあった UNIX OS で多回線にも対応する予定とか書いてあったような曖昧な記憶があります。何分20年ほど前の事なので…。このFDを読める機械があればいいんですけどね。あー,久しぶりに昔の PC98を出してみようかな。

 このソフトに出会わなければ,自分は今と全く違う人生を歩んでいたと思います。一体どれだけレジストしたかも覚えていませんが,払ったお金以上のものを得たのは間違いない。今パソコンを使っている人は,そういうソフトとの出会いみたいな物があるのかな。とちょっと思ってしまいました。このFD,自分にとっての宝物です。

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2006年12月 8日 (金)

SIG

SIG(シグ)と言うのをご存知の方は,私と同様に相当古い人間かと思われる。SIG=Special Interest Group の事で,要は趣味が同じ人の集まり,今で言えば mixi のコミュニティみたいな物といえば分かりやすいだろうか。

Niftyでは「フォーラム」と言っていたので,そちらの方が言葉としては長生きしたかもしれない。SIG には管理者(またグループ)がいて,その許可が無ければ基本的には読み書きできない。場合によってはゲストはリードオンリーとか,設定は管理者が自由に決められた。

雪ん子で使っていた WWIV の掲示板機能には SIG として設定する機能があり,いくつか…と言うか大半を SIG として設定して,管理者をお願いしていた。管理者は「SIGオペ」と言われ,掲示板に匿名投稿してもその人には誰だか分かるようになっていたり,削除コマンドが有効になっていたり特権が与えられる。

今のインターネットから見ればコップの中の嵐のようだが,どのSIGもそれなりに荒れたり混乱したりしたが,”草の根BBS”の良いところか,距離が近いところに互いが居ると言う感覚からか,それなりに収まったように思う。当時は商用BBSで訴訟沙汰がいくつも起きていた。草の根BBSでも,そういう嵐で閉鎖していった局は数多くある。

その中で雪ん子が,それなりに長続きして,それなりに書き込みも多くて,それなりに仲良くできたのは,ひとえにSIGオペの皆さんの力が大きかったと思う。

もし,読んでくれていたら,今更ですがお礼を申し上げます。

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XMODEM

 電算屋の仕事をやって15年。パソコンでプログラミングを本格的に始めてからは20年程経つけど,最近,メーカーのSEさんと話していてかなり世代が代わってしまった事に気づかされた。

 キーワードは「XMODEM」。

 無手順でファイル転送をする際に最初に触ったプロトコルがこれ。無手順って言うのが分からない人のために説明すると,パソコンで外部と入出力できるデータを互いにやりとりする手順の事をプロトコルと言う。遙か昔,電話回線で音としてデータを送る場合,互いに1バイトづつやり取りしたいけど音としてはゼロかノンゼロの状態しか取られない。そこで文字の始まりのビットが立ったらそこからは文字ですよ,のような最低限の決まりで送っていた(調歩同期手順。雪ん子の場合は N81XN=ノンパリティ,データ長8ビット,ストップビット1ビット,X制御あり,S制御なし)。音声だからノイズも乗る訳で,ノイズが乗るといわゆる「文字化け」の状態になる。

 テキストデータなら,多少化けても読めるけど,プログラムの場合は致命傷となるので,何らかのエラー訂正・再送の手順が必要となる。そこで最初の頃に使われたのが XMODEM。送信側はデータを256バイトごとに区切って,確認用にチェックサム又はCRC符号を付加。受信側は確認してエラーが有れば再送要求をする。

 それでもエラーは発生しまくるのでその後改良された色々なプロトコルができた。大手商用BBSの NIFTY は BPLUSなんて独自なのを使わせたり色んなのがあって面白い時代だった。

 雪ん子の場合,導入したての WWIV には確か YMODEM-Batch くらいまでが標準装備されてて,それに C言語のソースから Turbo-Pascal に自力移植した ZMODEM を追加して,そっちが主流で使われていたと思う。NIFTYユーザの方からの要望で BPLUS もソースは手元にあったけど移植する必要性を感じなかったので放置だったかな。

 当時は今ほど権利関係にうるさくなくて,他人の書いたソースを見て自分のBBSに組み込んだりするのは結構頻繁にあった。自分的には,他人の書いたソースを「読む」能力はこの頃に培われたと思っている。

 で,なぜこれがキーワードかと言うと,最近一緒にお仕事した方のほとんどが「XMODEM」と言う単語を知らない,又は知ってても使った事がない人ばかりだったからだ。正直,時代の違いと言うものを感じた。ファーストガンダムネタは通じても,「XMODEM」は通じないんだから,いかにパソコン通信がマイナーな趣味だったかが分かる。でも,政府は「ニューメディア」とか言って色々後押ししてた。今ではこの言葉も死語だろう。

 当時は仕事のパソコン教室みたいなもので,フリーソフト(当時は PDS=パブリックドメインソフトウェア)のダウンロード方法を教えたりした事もあった。

 XMODEM…何もかも懐かしい…

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さて,そろそろ

 「雪ん子」ねっとのカテゴリに全然記事が投稿されていないんだけど,と言う指摘を,かなり以前に直接言われた。別に触れたくない過去と言うわけでもなく,正直,もう昔の話だし仕事の方でも一杯一杯だったので,今までは育児カテゴリ以外の投稿はほとんどできなかった。

 今はちょっと時間ができたので,ちょくちょく記憶をたどりながら書いてみようかなと思う今日この頃。

 あの頃は自分的に絶好調で月三桁の残業もこなしてたり今とは全然違ってた。そういう自分を想起するにも,記憶をたどるのもいいかもしれない。

 という訳で,今後昔話を不定期で書いて行こうと思います。何分,大昔の話なので記憶が定かではありません。もし違っていると思われる点などあれば,ご指摘ください。

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2006年7月14日 (金)

MNPと言えば

最近良く聞く「MNP」要するに移動体の識別番号(電話番号)をプロバイダを変えても継続して使える仕組み。今日も早期覚醒してしまったので,ついついそれ関連のニュースをググってしまった。

自分の世代,というかパソコン通信時代を黎明期から知っている人間としては,MNPと言えばマイクロコムと言う会社が開発した画期的なモデムの規格を思い出すと思う。逆に言えば,MNPと言ってもピンと来ない人が大半だから,ナンバーポータビリティをMNPと略して報道しているのかな。

最初に使ったモデムはNECのコムスターとか言う奴で,2400ボーのMNP無しだったような記憶がある。昔のPC98と同じベージュ色で自分はX68000使いだったから何だか変だなと思ったものだった。今の人には想像もつかないかもしれないが,こんなに遅いスピードでも色々なノイズの影響を受けると文字が「化ける」それだけなら,まだ可愛い方で「勝手に文字が入力される」なんてこともある。

そんな状態で掲示板とか運用されていた訳だから,コミュニケーションは工夫しなければダメで,「短く」「的確に」書かなければならない。最初に書いた掲示板は…,そうそう,当時入り浸っていたパソコンショップがデモ用に置いていたソニーのBBS機能付モデムホンだったっけ。ショップが閉店している時間帯に,店の電話回線を流用していたものだから,閉店と同時にCallしてくる奴とかがいて,店員さんが受けたら「ピー」ってキャリアトーンが聞こえたりしたそうな。

時にはお茶目な普段は非常にウザい文字化けだったが,これが通信の普及を阻害していたのは間違いなく,MNPの出現で一気に解消されたのは大きかったと思う。出現と同時に草の根BBSでは一気に普及した。それと同時にパソコン通信を始める人も増えて,世の中「ニューメディア」になっていった。大手商用BBSは何故か一歩遅れていたが全国のアクセスポイントを更新するのに時間が掛かったのかな。

MNPの出現で文字化けが一気に無くなり,圧縮機能の搭載でDTEスピードを上げられるようになって,少ない時間でたくさんのデータをやり取り出来るようになった。当時はつなぎ放題とか無かったから,接続して一気に落として,パソコン上でレスを書いて一気にアップロードするのが一般的になった。自分も朝に未読を落として,学校とかで暇を見てレスを書いて帰宅してからアップなんて事をしばらくやっていた。夜は何かと忙しかったのだ。

振り返ると,MNPは本当に偉大だったと思う。

ケータイの方のMNPはどうやら有料になるらしい。となると,個人より法人の方が需要があるのではないだろうか。会社としては通信料金はなるべく安い方がいいし,メルアドのような移行が利かないモノの弊害も少ないから。

でも,キャリアを変えたところで電話番号が変わらないのは家庭用電話でもそうなんだけど,料金がお得だから変えたという人は少ないらしい。今も必死な勧誘電話が掛かってくるけど,同じような勧誘がケータイでも始まるのかな…。それは勘弁してほしい。

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