「雪んこ」ねっと

2011年3月 5日 (土)

つぶやき始めて一月経過

一月末頃にツイッターにアカウントを作成し,約1か月が過ぎたところだ。現在,フォローもフォロワーも300人を超えて,自分のつぶやきは160件くらい。一日5件平均くらいつぶやいている計算。もっとも,このブログとのクロスポストもあるから,一日4件くらいか。大差はないが。

自分は新しいモノ好きなのだけれども,それが高じて後から失敗したと反省するケースが多々。自分のサイトを持ったのは早かったけども,このブログを始めたのもブログブームが始まってしばらく経ってからだし,ツイッターについても様子見だった。

始めて1か月経過した感想としては,確かに魅力的だと言うこと。以前,草の根BBS『雪ん子』ねっとを運営していた頃。1行メッセージと言う機能を追加していたのを思い出した。

これはログインすると強制的に表示されるもので,BBSに書き込むよりも敷居が低く,雰囲気を知って貰うにも有効かなと思って付け加えた機能。

もっとも,当時の1行=80バイトだから,ユーザー名を入れると60バイト,全角なら30文字程度しか入らない。それでも日本語の妙なのか結構使えたのを記憶してる。当時はホストプログラムを独自にいじるのは当たり前で,同様な機能を付け加えていた所も何カ所かあった。文化の違いなのか,是非はそれぞれだったようだけれども。

面白いのは,ちょっとつぶやいただけでも,それを拾ってフォローしてくれる人が少なからずいたと言うことかな。宣伝目的のフォローが大多数とは言え,フォロワーのフォロワーが繋がっていって,さらにフォローされていたりして,チェックしている人はチェックしているのだなぁと感心した。まぁ,その手のツールが自動的にしている部分もあるのだろうけど。

フォローしている人が100人を超えたあたりから,Web版が”おすすめ”してくれるユーザーが結構的を得てくるようになっているのも興味深い。フォロー関係を追跡して分析しているのだろうけれど,試しにそこに出てくる方々のタイムラインを見ていると,フォローしたくなっちゃうから不思議だ。トラッキングをシステムがやってくれるのだから広告媒体として使うのも分かる。邪魔だけど。

ヘビーユーザーがどのように使っているのかを観察していると,スマートフォンのような携帯端末からの投稿が多いようで,日常をつぶやくという行為が携帯電話の形の変化を促しているのが良く分かる。確かに自分が使っている昔ながらの携帯電話では辛いものがあり,専用アプリが用意された大画面の携帯端末に興味が出てくる。

こういうのが当たり前になった時代に育っている娘の成長はどうなるんだろうか。無ければ無いで全く困らないのも事実なのだけれど,知らないのは確実に損だと思うような事を拾う事もあるのも事実で一概に禁止するのも気が引ける。

まずは,自分がもっと使ってみて,それから考えるのがいいのかな

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2008年7月26日 (土)

かつての夢かなぁ

リンク: Lispの仏さま 竹内郁雄の目力 - @IT自分戦略研究所.

私の世代で,若い頃にプログラムを組んでいた人で知らない人はいないであろうと思う著名な方のインタビュー記事。

驚いたのが,”人生をかけてプログラムを書いていた”のが45歳前後だったと書かれていること。”プログラマ35歳定年説”なんて言葉も出ているが,自分の周りでは30歳くらいで管理に回るパターンが多かったような気がする。

笑っちゃったのが”鬼のように開発をしていた”時のスケジュール。ビールを飲みながら一気呵成にコードを書く…って,自分が WWIV に機能追加とか X68000 のゲームソフト解析に精を出していた頃と同じだ。

当時は,翌日になってみると自分が書いた覚えの無いコードが記述されてたり…酔拳じゃないけど,酔っている時の方が余計な事を考えないからなのかな。

ウゴウゴとかで,”プログラマのえらい人!”とかがあったら出てきそうな方も,そんなコーディングをしてたのかと思うと何とも。

自分も現役復帰してみようかな。なんて思う今日この頃だ。

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2008年4月24日 (木)

FRマイコンで遊ぶ

リンク: FRマイコンってすご!.

娘が感染症にかかちゃたので,看護するため今日明日は休み…。家事は当然やるとして,暇なので先日基板を作ったFRマイコンのサンプルプログラムをいじって遊んでみた。

やっぱり自分的に面白いのはシリアル通信を行うプログラム。本誌のサンプルプログラムは紙媒体のがバグ有り(というか仕様の違い)だったりして悩んだがキーボードの入力をエコーバックできると言う事は,それに応じた出力ができる訳で,基本的には昔いじりまくったBBSホストプログラムと変わらない。

実際,これでプログラムできる容量は実用的なレベルなので,外部ストレージさえ用意できれば簡単にホストプログラムが書けそう。WWIVでは低レベルIOから書かれていたので,その手のプログラミングは慣れてるし。多回線化した際はその辺に非常に苦労して実装した。

…と思ったら,6月号ではUSBマスストレージクラスをターゲットとしたホスト機能のサンプルが載るらしい。やっぱり考えることは皆一緒なのかな。

WWIVではOS含め極端に言えばFDDベースでも運用できた。文字ベースのBBSでは2HDのFDで必要十分だったとも言える。今ならUSBストレージでGBクラスは当たり前…。

高価なパソコンでプログラムを組んで,外付けの数十MBクラスのHDDに大枚はたいて運用していた昔が懐かしい。雑誌の付録プラスαで草の根BBSは構築可能なんだな。

予告記事を見て思ったのだが,この付録基板。USBターゲットにもなれる。USBターゲットとして自分をマスストレージクラスと見せられれば,Autorun機能を利用して色々と楽しげな事ができそう。俗に言うポッドスラーピングって奴かな。

他にもUSBなんたらで色々と遊べそうだが…。やっぱりターミナルを介して文字のやりとりをするのが自分的には一番面白い。文字世代なんだなと実感する。

試しに,キーを押すたびに文字コードに応じて基板上のLEDが点滅するプログラムを組んだら,娘がかなり喜んでいた。アイデアを考えてと言ったら色々と考えていた。この限られた環境の中で何を考えるか楽しみだ。

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2008年4月19日 (土)

実名公開の意味って

リンク: ビビリな若者たちよ!! 実名ブログで自分を「見える化」する勇気を!!:久米信行の「企業経営に活かすブログ道」:ITpro.

なかなか興味深い記事。確かに海外のblogは著名記事が多い。別に有名人でなくても堂々と住所や連絡先をさらしている場合も少なくない。

だから日本でも同じようにするべき,と言うのはいささか横暴な気がしないでもない。今の政治を見てれば分かるように,政治家でさえ「個人」でモノが言えないような社会なのだから。もっとも,政治家でも個人のブログを立ち上げて主張を書いている人はいるけど少数派だと思う。

勇気が無いと言うよりも,文化の違いなのではないかな。

で,自分はと言えば,過去に電波新聞社から「BBS電話帳」なる冊子が発売されていて,それに『雪ん子』を載せてもらっていたので,住所氏名は調べれば分かるだろう。そういう意味では全く匿名でこのブログをやっているつもりはない。年賀状等にも記しているので,秘密にしているわけでもない。そんな程度で良いと思うのだがなぁ…。

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2007年11月23日 (金)

年賀状…

11月も終わると言うことで,年賀状の整理をした。離婚を決めて数年間年賀状を出さなかったところ,年々減って,それでも一昨年年賀状を送ってくれた方に久しぶりに年賀状を出した。

年賀状を控えていた数年の間に,送ってくれる方の数は約4分の1になっていた。年賀状を出す数が増えていたのは,思い返すと『雪ん子』ねっとで”年賀状アンケートを行っていた結果だったように思う。

私のBBSは登録時に個人情報を登録しなければ書けないシステムになっていた。ゲストさんはSIGが読めないしPDSもダウンロードできない。それなりに登録者数は多かった。WWIVにはアンケート機能があったので,それを利用して”年賀状リスト”にその登録情報を同報送信する許可をもらって,送信していた。

受け取る側は,SIG等で見知った人のみに出していたかもしれないが,自分はシスオペとして,許可者全員に年賀状を出していた。(ちなみに差出人不明で戻ってきた方は容赦なく登録を抹消していた。)それに返してくれた方に翌年返しているうちに結構な数になってしまった。

結局,この数年で分かったことは日本の年賀状システムと言うのは「お返し」の概念が強いと言うこと。結果として,出さないでいる間にも出してくれていた方は,年賀状ソフト等で数年前の履歴を見られる方か,身内だ。

今年問題になったのは,先日逝ってしまったVAIOにそのデータが置いてあったということ。バックアップはあったのだが,昨年戻ってきたものを反映する前だった。というわけで数は少ないものの,チェックすることになってしまった。

打ち出しに使っていたソフトも無くなってしまったので,データを変換して TX-32J にプリインストールされているマイクロソフトの”はがきスタジオ”に食わせてみた。ところがこれが非常に使いにくい。バックエンドがアクセスだからか,何とも。特に修正したデータを戻すのができなかったり,郵便番号から住所を強制的に書き換えられたりするのは困った。

とりあえず終わったものの,来年以降どうしようかなと思う今日この頃だ。

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2007年11月15日 (木)

NEC関本忠弘元会長死去

リンク: 東京新聞:NEC拡大路線けん引 関本忠弘元会長死去:社会(TOKYO Web).

パソコン通信世代なら必ず触ったことがあると思う「PC-98シリーズ」最近職場に採用になる人には,知らない人も多くなった今日この頃だ。

私が始めた『雪んこねっと』は知人から中古で頂いた"PC-9801UV2"をホストマシンにしていた。その後,マシンは他回線化を機にレベルアップし,途中エプソンの互換機に浮気したりしたものの,最終的には"PC-9801As"で幕を閉じた。

終盤では,他回線RS-232Cドライバとして使っていた MCD がAT互換機に対応していたこともあり,AT互換機で実験してみた事もあったが,PC-9801ほど厳密な制御ができず,断念した記憶がある。

今から思えば,両者の設計思想の違いなのだろうと思うが,AT互換機は真面目にRS-232Cをサポートするつもりが無かったように思う。当時はどちらも,汎用機などの端末として使用する際は専用のボードを購入する必要があり,そんな機能はオマケにすぎなかった。

AT互換機が出始めた頃,NECは”フロッピーが1台しかないようなマシンは日本で普及しない”などとネガティブキャンペーンを張っていたことを思い出す。確かに,当時のAT互換機はフロッピーがAドライブで,HDDはCドライブ。98はそういう所は柔軟だった。

キーボードにしても,今,家にある98シリーズを見ると,「ああ,何もかもみな,なつかしい…」などと思ってしまう。今ではすっかり106/109キーボードに慣れてしまったが,最初は戸惑ったものだ。

NECに対して批判的な人も少なくなかったが,自分自身が TK-80E と言うNECのワンボードマイコンからこの世界に入ったこともあり,純粋な国産マシンが無くなるのは寂しいものがあった。

パソコン通信時代の人間にしか分からない感傷かもしれないが,関本会長が実際に経団連の会長になっていたら,日本のIT業界は違った発展を遂げていたように思う今日この頃だ。

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2007年3月21日 (水)

TX32J LD-37SP1 を接続(1)

先日の日曜,SHARPの展示会に行って37型で地デジ対応の現行商品であるにも関わらず,税込みで198K(さらに値引き)と言うことで購入した液晶ディスプレイテレビ LD-37SP1。昨日届いて一日経過した時点でのメモ。

マニュアルダウンロードで,PCからのアナログ入力スペックが全く同じなのを確認していたので,特に不安は無くて,普通に自動調整でキレイに表示されたから安心していたのだけど,良く見ると,同じ行なのにテキストが細くなったり太くなったりしている部分がある。

TX32J に付属するテストパターン表示プログラムで確認すると,1ドット間隔の縦縞パターンに濃淡が出ている。色々といじってみた。結局,ベストだったのが,画面サイズを「Dot by Dot」から「フル」に切り替える事だったから不思議だ。ディスプレイ自体は横1366ドットなのだが,PC側の解像度は1360ドット。通常なら Dot by Dot が正しい。6ドット分横に広がる事で,濃淡がキレイに消えて文字もクッキリした。率にして0.4%程横に広がっただけなので,4:3画面を16:9にするような違和感は全くなく,とりあえず,これで使う事にした。

後から TX32J のモニタ説明書を見ると,こちらはフルスクリーンしかできず,逆に Dot by Dot表示ができないと書いてあった。という事はこちらで正解なのかもしれない。イマイチ納得できないが。

苦労したのがパソコン連携用のケーブル。TX32J の場合は USB接続で,見た目シリアルポート(COM10)としてディスプレイが見えていた。LD-37SP1の場合,D-Sub9ピンのシリアル端子が出ていたのを展示品で確認していたので,USB<-->シリアルポート変換ケーブルを使えば何とかなるかと考えて,昨日買っておいた。

現物と組み合わせてみようとして大きな間違いに気づいた。マニュアルにはクロスケーブルを用いるとある。USBシリアル変換ケーブルの先はDTEで,LD-37SP1 もDTE。生意気にもディスプレイの分際でパソコンと対等に話そうとするのだ。モデムのつもりでいてくれれば良かったものを。

雪ん子をやっていた時は,通信周りのケーブルは殆ど持っていて,変な通信機器とお話するときのために,結線を自由自在に変えられる変換コネクタを使ったりもしていたのだが,何分,PC-9801とかX68000 を使っていた時代で D-Sub25ピンのものばかり…。

仕方が無いので,今日ヤマーダ電機に行って,D-Sub9ピンのクロスケーブルを探したが無い。なぜか,D-Sub9ピンと D-Sub25ピンのクロスケーブルはあった。箱を見ると”PC-9800,PC486等”とあり郷愁を誘った。そういえば雪ん子もEPSONの98互換機で運用していた時期があったっけ。

で,クロスケーブルだから当然両端がDCEなので,”D-Sub9ピンメス,-->D-Sub25ピンメス”の変換アダプタでUSBシリアル変換ケーブルに繋ぐ。結果として「TX32J -> USBシリアル変換ケーブル -> Dsub9toDsub25変換アダプタ -> Dsub25toDsub9クロスケーブル -> LD37SP1」 と言う形で落ち着いた。

早速ハイパーターミナルを起動して,COM10 を指定してマニュアルに出ているコマンドを打ってみる。ボリューム等パソコン側からも変更可能なのを確認。TX32J はマニュアルに制御コマンドが明記されていなかったのだが,同じメーカーなんだし,さほど違いは無いだろと希望的観測。実際,TX32J でもどこで連動していたのかイマイチ良く分からなかったのだが,制御コマンドが分かった事で,キーボードショットカットで起動するコントロールアプリを作れるし,便利かもしれない。

今日のところは,とりあえずここまで。と思ったが,先程,試しにと思って地上デジタルの設定を札幌で行ってみたところ,NHK2局と民放3局ほど受信できた。アンテナ感度は40%ほどなのでノイズが乗る事も多いが,なるほどキレイだ…。

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2007年3月10日 (土)

IKKANさん

ほぼ毎日見ている,有名ブログ「きっこの日記」2007年3月9日の内容に,IKKANさんという名前があって驚いたと同時に懐かしかった。

この方は旭川出身で,以前「雪ん子」ねっとに登録いただいたのが縁で,地元公演の際お会いする事ができた。チケットをメンバーの方々が自宅まで届けて下さったり,メンバーの方々も温かい人たちだった。

文化会館の小ホールでの公演。時事ネタを結構深く斬っていたような記憶がある。下ネタ嫌いの人には抵抗があるかなぁと思ったりもしたが,その後,教育テレビに出ていたりしたのを見て,こういう仕事もやってるんだなぁと,頑張っているなぁと感慨深かった。

久しぶりに雪ん子のことを思い出したので,メモということで。

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2007年1月27日 (土)

Tri-P(トライピー)

昔,パソコン通信にハマっていた方でお世話になった人も多いと思われるサービスで,自分も利用していた。確か,これを決済するためにクレジットカードを作ったような記憶がある。カードはキライだったのだけど,そのくらい魅力的なサービスだった。

これ,全国の要所に設けられた Tri-P のアクセスポイントに接続し,そこから,他の草の根BBSに近い Tri-P アクセスポイントから発呼して接続する,ゲートウェイサービスのようなものだった。旭川にもアクセスポイントがあったので,ミカカ代は市内通話分,あとは従量制の Tri-P 使用料を払えば良い。当時は市外通話が今では考えられないほど高かったので,全国の草の根BBSに安価に繋げられるサービスはありがたかった。

今では死語に近いと思うが,この手のサービスあれこれを,当時は VAN (Value Added Network) サービスと言っていた。

パケット通信のインターネットが普及し,草の根BBSが続々とウェブサイトに移行していって,サービス終了となってしまったが,今は掛ける方は全国定額のサービスもあるので,逆に草の根BBSへの回帰みたいな形のサービスが出てもおかしくない,というかあるだろう。

今のインターネットはどこから情報が漏れてもおかしくないし,改竄されたりする可能性も無くはない。セキュリティに配慮する所なら,独自に回線交換でやるメリットは大きい。VPNサービスを用いればと言う考えもあるが費用はかかるしセキュリティも完全ではない。

メーカーのカタログを見ていたら,多回線RS-232Cのボードが比較的安く売っていたので,こんなもの,誰が買うんだろうと思ってみたが,今なら,そういう需要があるかな,などと思った次第。で,思い出したのが Tri-P。だったというわけ。

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2006年12月26日 (火)

年賀状用住所録

今日,締め切りを過ぎているけど年賀状の宛名書きをした。今回はここ数年,もらったものの諸所の事情で出していなかった方も出すことにしたので,昨年よりも多い。

「年賀状だけのお付き合い」ってのがあるけど,自分の場合「雪ん子」で知り合って閉鎖してからは年賀状だけって人が結構いる。当時は学生だったりした人も,もう立派な社会人になって,結婚したり子供もいたりして,時と言うのは優しくもあり残酷でもあると感じる。

雪ん子を主宰していた頃,年賀状時期の前には「年賀状用住所録を作るので載せたい人は登録して」と言う呼びかけをやっていた。雪ん子はプロフィール(一般には非公開)を登録してからでないと使えず,自分のプロフィールについては編集も可能としていた事から正しいかの確認も兼ねていたように思う。

当時の世の中ならではだと思うのが,住所録への登録可否をユーザーファイルに一時的に持たせ,ログイン時に強制的に表示させたりしていた事だろうか。単純に Yes/No だけだったはずだが,もし個人情報保護が強く叫ばれている今なら,延々と長い文章を読ませて確認を取る必要があるだろう。管理者たる自分の免責も含めての話だが。

住所録はユーザーファイルから編集してCSVか何かの形で,登録者全員にメールしていたような気がする。今でも手元に持っている人がいるとしたら,取り扱いにはご注意を…(ちなみにウチにはもうありません)

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